「社会を変える」を仕事にする: 社会起業家という生き方 (ちくま文庫)
- 作者: 駒崎弘樹
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/11/09
- メディア: 文庫
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会社を転職したタイミングで色々悩んで手当り次第に読んでいた中の一冊。
この前読んだ「楽観主義者の未来予測」つながりで、「社会起業家」という観点でもう一度読み直そうかなと思って再読。
改めて読んでもいい本ですね。
「フローレンス」の「駒崎弘樹」さんの著書。
自分としては子育て関係の諸問題に関する分野の第一人者っていうイメージですかね。
社会起業家になるきっかけから、それを実現するまでの苦労が読みやすい軽い感じで書かれています。
特に社会起業家だからっていう高尚な感じではなく、それを口に出すにはちょっと恥ずかしい、「自分は俗物だ」と言い切っているところなんて凄く共感がもてます。
あとは「就職偏差値の高い企業にいけば自分はイケてる」なんて話も自分の就職活動の時に聞かせてあげたいw
日本では馴染みの薄い「NPO」について知りたい人にもいいと思います。
アメリカではNPOがある意味大企業みたいなポジションで語られることが多いらしいです(この辺りは以前調べた知識で書いてるので実体験ではないです)。
自由主義者のレーガンは「小さな政府」路線を選択し、それまでNPOに出されていた政府からの補助金を次々にカットしていった。ビジネス界からの人材やノウハウの流入は、それまでの「運動によって社会問題を解決する」といった姿勢から、「事業によって社会問題を解決する」方向へと多くのNPOたちをシフトさせていった。
NPOは儲けを出してもまったく問題ない。最大の違いは、株式が存在し、IPOや配当など株主へのなんらかのリターンが期待される株式会社に対して、NPOは、純然たる社会的価値が期待されるという点だ。
本書から引用すると以上のようなところでしょうか。
以下、ポイントと感想を。
日本組織(社会)の問題点について
日本組織(社会)の問題点もあげられています。
それは、「ダメ出し社会」と「コップの中の嵐(限られた人達の限られた世界の中だけの議論や動きのため、一般の人は他人事になってしまうこと)」であげられている。
これは本当に感じるところは多いですね。
「ダメだし社会」は良い側面もあると考えているけれど、「コップの中の嵐」については本当に良くないことだと思います。
多様性がないところからいいものはうまれない。
「コップの中の嵐」と同じことですが、なぜ多様性がうまれないのか。
色々と理由はあれど、多様性を活かす建設的な議論ができる土壌がないんのではなないかと思います。
これだけ「多様性」と叫ばれているのにも関わらず「多様性」が促進されていない理由としては、多様性を活かした建設的な議論ができないからではないでしょうか。
多分、組織において一度や二度「多様性」を考えて色々な人を集めた会議をしたことはあると思います。
で、大体そこで意見が衝突したり、痛い目を見てもうやらないとなる…。
これは、個人個人が多様性を容認するマインドはもちろんのこと、建設的な議論をするスキルが欠けているのではないかと。
意見を言うのと相手を”口撃”するのは違いますからね。
もちろん、これを実現するにはリーダー(まとめ役)の能力と度量が必要になってくると思います。
ここについても、それだけのことができるリーダーを育成できているのかも問題の一つでしょう。
ただ、グローバル経済の中で、多様性を排除していくことは難しいとは思うので(特に日本は)、一つ一つ人材育成を進めていくしかないでしょう。
あとは体育会系なんて愚の骨頂かなと(あくまで悪しき体育会系ですよ!)。
上に対して意見を言える雰囲気や風土がなければいけないと思います。
多様性とは人の価値観だけでなく、人種、性別、年齢も含まれるはずではないでしょうか(あくまで個人的な意見ですが)。
まあ、これは今の若い子たちが上になっていけば自ずと解消されていくと期待していますがw
マーケットについて
ニーズあるところにマーケットありき
これは今の職場に足りないところだなと思いましたね。マーケティングの考え方が足りないってことだと自分としては理解しているのですが。
文化や価値観や政治体制など(上部構造)は、経済や産業のあり方(下部構造)によって左右される、ということだ。価値観の裏には、経済的な事情がある場合が多い。
これもハッとさせられるところ。
割と色々な人に会ってきましたが、経済的に違いというのが価値観に与える影響はとても大きいと思います。
だからこそ、国や自治体による経済的な支援というのが大切になってくるとは思います。
ちょっと今の自由経済論的な風土は個人的にはあまり賛同はできないです。
少なくとも、子供達は同じぐらいの土俵で戦わせてあげたいです。
また、本書には商店街の店長の発言がでてくるのですが、この発言もとても重みがあります。
商売だけでなく、まちづくりに関わっていく。そう、商店街の活性化には外的要因だけじゃなく、内部構造にも問題があるのも事実。でも、商店街の中にこうした意識の人が一人でもいれば少しづつ街は変わっていく。
どんな状況や組織や優秀な人であっても主体性がないところからはいいものは生まれない気がします。
キャリアについて
環境依存型の生き方をするのは、逆にリスクが高い。自律的に自らのキャリアを選択し、自分がどんな人間になりたいのか、という自己実現と、どんな社会を実現したいのか、という社会実現のみ双方を重ね合わせた働き方が、最も充実したものをもたらすんだ。
これについては、かなり賛成ですかね。
環境に依存型しないことについては賛成ですが、キャリアについては偶発的・偶然的要素(自分でどうにかできない要素)が大きいと思っているので、自分としてはどんなことをしたいか意識しながら、その時々を全力でやるというスタンスです。
溺れる赤ん坊のメタファーについて
また、「溺れる赤ん坊のメタファー」もこれはどの仕事に対しても言えるんじゃないかなと。
ちょっと長くなりますが、以下引用です。
社会運動に取り組む者が知っておくべき寓話がある。「溺れる赤ん坊のメタファー」である。
それはこんな話だ。
あなたは旅人だ。旅の途中、川に通りかかると、赤ん坊が溺れているのを発見する。あなたは急いで川に飛び込み、必死の思いで赤ん坊を助け出し、岸に戻る。
安心してうろろを振り返ると、なんと、赤ん坊がもう一人、川で溺れている。急いでその赤ん坊も助け出すと、さらに川の向こうで赤ん坊が溺れている。
そのうちあなたは、目の前で溺れている赤ん坊を助け出すことに忙しくなり、川の上流で、一人の男が赤ん坊を次々と川に投げ込んでいることには、またっく気づかない。
これは「問題」と「構造」の関係を示した寓話だ。問題はつねに、それを生み出す構造がある、そして、その構造に着手しなければ、真に社会問題を解決することはできないのだ。
自分自身の仕事に対しては特に「問題を生み出す構造」に着手するのが本来的な部分だと考えているので、改めて自分の仕事を見直すきっかけになりました。
もちろん、問題に対処する人も必要で、ただそれだけじゃいつまでたっても構造は変わらないので、問題解決にいたらない。
だからこそ、構造に気づくために勉強して知識や経験を得ることが重要だと思います。
まとめ
ボストンでのシティ・イヤーの経験で、小学生に「自分の街に貢献できたことが嬉しい」と言わせることができたことについて、これもなかなか日本だと難しいですね。なぜなら自分がそういった経験がないですからねw
どうしたら、こういう文化が身に付くんですかね。システム的なことなのか指導する側なのか。
と長くなりましたが、社会企業家に興味ある人だけでなく、就活性やビジネスマンが読んでも十分気づきが得られる本です。口語体なのでさらっと読めておすすめです。