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30代共働き庶民のサラリーマンです。ファッションや読書や映画や旅行やアウトドアなどについての覚え書き。

愛してまーす!【読書録】2011年の棚橋弘至と中邑真輔


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イッテンヨン東京ドームを見に行くために事前学習として読んだ本。 

 

 

いやー、めちゃくちゃ面白かったです!

そして、自分は棚橋弘至をめちゃくちゃ誤解をしてました…。

 

闘魂三銃士までの新日本プロレスの栄光…それからの総合格闘技ブームの台頭による低迷…そこからの今の新日本プロレスブーム。

 

正直、自分は運営会社が変わってその経営とマーケティングがうまくいっただけなのかと思っていました。

もちろん、運営会社が変わって株主や社長が変わったことも大きいと思います。

神様(アントニオ猪木)に口を出されることもなくなりますしね。

 

それでも、運営会社が変わったからといって早々に変わるもんでもない。

会社的に言えば商品はプロレスラーなのだから。

 

ずーっと昔にテレビで棚橋弘至選手の特集を組んでいたのですが、そのときに「(アントニオ猪木の肖像画を)もう外しました。必要ないですから。」的な発言をしたことだけ覚えていたんですよ。

その時は、何か腑に落ちなかった。

まあ、自分ぐらいの世代になるとアントニオ猪木はほとんど試合をしてなかったし、もうレジェンド的な扱いだった気がする。

だからこそ、レジェンドの猪木の肖像画を外す必要はないんじゃないかと。

でも、この本を読んで棚橋弘至のテレビでの発言がしっくり来たと同時に、棚橋弘至の凄さが伝わりました。

 

また、同時にプロレスの隆盛の流れが凄く分かりやすくとてもためになりました。

 

 

 

 

1.ストロングスタイル

新日本プロレスと言えばもちろんストロングスタイル。

プロレスは最強の格闘技だというのを猪木が証明し続けたからこそ、新日本プロレスはヒットした。

これは自分達の世代でもまさにそうだったと思う。

 

棚橋曰く、『新日本プロレスのストロングスタイルは、70年代から80年代にかけてのヒット商品だった。でも、総合格闘技が出てきたことで、文字通り前世紀の遺物になってしまった。 企業が生き残るためにはヒット商品を捨てないといけない。いつまでも時代遅れになった商品にしがみついていれば、ビジネスは下がっていくばかりです。 僕は1976年生まれで、金曜8時、土曜4時にプロレスを見た最後の世代。そのあたりの世代が20代、30代になって自分でチケットを買えるようになったからこそ90年代の会場の盛り上がりがある。 でも、そのあとの小学生が深夜のプロレス中継に触れていなかったために、2000年代のプロレスビジネスはだんだん下がっていったんです。』

 

まさに的を得ているなーと。

そう、小さい頃に誰が、どの格闘技が最強なんだという中で必ず出てきていたプロレスラー。

ジャイアント馬場やアントニオ猪木からザンギエフに至るまで必ずプロレスラーが話題の中心になっていました。

それを作ったアントニオ猪木という人はやっぱり凄い。もちろん、馬場さんも。

 

ある意味「バキ」の世界観そのまんま。

それをそのままリングの中に持ち込んだアントニオ猪木は天才ですね。

 

ただ、2000年代になってPRIDEといった総合格闘技が現れて、みんな変わってくる。

そこにはリアルな戦いがあったし、ドラマもあった。

そして何より最強が決まる戦いがあった。

 

ただ、もちろんプロレスファンだった自分としてはプロレスラーが最強に決まってると信じていた。

長州や橋本や武藤が出れば勝つに決まってる(武藤を総合格闘技に出そうという考えは実際にあったみたいで、それもあって武藤は新日本から脱退する)。

もちろん、それをやってのけたのが桜庭和志や中邑だったりする。

 

でも、プロレスラーの苦戦が続く。

そうするとファンの僕らは「あれ、ストロングスタイルって?」、「プロレスラーは最強じゃないの?」という疑問が溢れてくる。

今思うと本に書いてある通り、ストロングスタイルという与えられた幻想を自分達で大きく妄想することが楽しかったんだなーと。

 

そんな疑問がある中で、アントニオ猪木が総合格闘技側へ…こうなるとプロレスというのは…となってくる。

ましてや、アントニオ猪木主導のもと総合格闘技っぽい路線へプロレスが変わっていく…。

 

自分がプロレスから離れていって総合格闘技に流れていった理由がようやく分かったなと。

このあたりを冷静に分析できているところが棚橋弘至選手の凄いとこでもあるのでしょう。

 

2.ストロングスタイルからの脱却

結局、武藤敬司の脱退もあり新日本プロレスは低迷をしていく。

逆にそのおかげもあってか新日本プロレスから金を引っ張ろうとしていた猪木も金がなくなり、新日本プロレスの株を売却することに。

 

親会社が変わったこと、経営が困難なためスタッフも含めて努力した。

それでもなかなか経営が上向きにならない中でチャンピオンになった棚橋弘至。

 

『チャラくて、自己中心的で、ナルシスティックで、かつ親しみやすく、セクシーで、女性にも子供にも好まれるヒーロー。 棚橋弘至が提示するチャンピオン像とは、このようなものだ。 ストロングスタイルというイデオロギーを信奉する新日本プロレスの中にあって、棚橋弘至は圧倒的に異質な存在であり、だからこそ、古いファンからのブーイングを受け続けた。 その一方で、誰よりも深く新日本プロレスを愛する棚橋は、自ら先頭に立って会社を再建しようとした。残酷な流血戦や、後味の悪い遺恨試合は必要ない。女性や子供が見てくれないからだ。 ストロングスタイルは前世紀の遺物であり、21世紀の新日本プロレスは、観客が楽しい記憶を持って帰れるハッピーエンドのプロレスを提供するべきだ。』

 

まさに今のプロレスにつながる考えをこの頃から持っていたことが凄い。

棚橋はプロモーションのたまに色々なところに出かけて行ったらしい。

 

ストロングスタイルからの決別。

 

結果として今振り返るとこれが正しかったわけではあるけれど、当初はもちろん従来のファンには受け入れられず、かなりの苦悩があったと思う。

けど、やはりそれを乗り越えたからこそ棚橋弘至は百年に一人の逸材だし(自分で言い始めたらしいけどw)、凄い。

 

何より、いくらでも他の団体にうつるチャンスはあったのに新日本プロレス一本で続けてきた新日本プロレスへの熱意も凄い。

 

仮面ライダーから学んだり、音楽から学んだりと本人も言ってるとおり、プロレスのことを考え続けている。

だからこそ、棚橋弘至は新日本プロレスを変えられたんだなと。

 

3.中邑真輔

もちろん、棚橋弘至に対してストロングスタイルにこだわり続けた中邑真輔。

中邑を知ったのは総合格闘技での試合だった。

イケメンだし、実際に若く強かった。

その後、中邑を知ったのはWWEに移籍したとき(もちろん途中でちらっと試合を見たりしてスタイル変わったなーとか思ってましたw)。

でも、本を読むと中邑も苦悩していたんだなと。

そして、1.4で見たインターコンチのベルトをここまで格上げにしたのは中邑真輔ということを知り、改めて中邑の凄さを知った。

総合格闘技の中邑しか知らなかったけど、プロレスラーとしての中邑ももう一度改めて見てみたいと思いました。

 

4.まとめ

プロレスの歴史の流れが紐解ける名書でした。

そして、ブランド化の勉強になりました。棚橋が行ったのはプロレスのブランド化(=ファンづくり)だなと。

もちろん、棚橋一人の力で出来たわけではなく、第3世代の下支え、スタッフ、中邑や真壁などの努力があったと思います。

 

個人的には武藤敬司が坊主になる前から一番好きなプロレスラーだったのですが、その武藤敬司が何故新日本を離れたのか納得しました。

武藤敬司も棚橋と同様にプロレスラブを謳い、脱ストロングスタイルを行っていたのではないかなと思います。

そこが冷遇された理由なのかもしれませんが…。

きっと闘魂三銃士が健在だったらプロレスの凋落はなかったかもしれないなぁと。

でも、凋落があったからこそ猪木の呪縛が解けたし、百年に一人の逸材が出てきたのかと思うとやっぱりプロレスは面白いし、ドラマがあるなと。

 

と、書いた文書を読み直したら凄く長くなっていてなんだかんだ自分はプロレス好きなんだなと改めて思いましたw

 

またプロレス見に行くぞー!!