友達がおすすめしてたからツタヤで借りた映画。
予想以上に良かったです。
以下、あらすじ。(ネタバレもあります。)
「プリズナーズ」「ボーダーライン」などを手がけ、2017年公開の「ブレードランナー 2049」の監督にも抜擢されたカナダの鬼才ドゥニ・ビルヌーブが、異星人とのコンタクトを描いた米作家テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」を映画化したSFドラマ。ある日、突如として地球上に降り立った巨大な球体型宇宙船。言語学者のルイーズは、謎の知的生命体との意思疎通をはかる役目を担うこととなり、“彼ら”が人類に何を伝えようとしているのかを探っていくのだが……。主人公ルイーズ役は「アメリカン・ハッスル」「魔法にかけられて」のエイミー・アダムス。その他、「アベンジャーズ」「ハート・ロッカー」のジェレミー・レナー、「ラストキング・オブ・スコットランド」でオスカー受賞のフォレスト・ウィテカーが共演。(映画コム)
全然、前評判を聞いてなかったのでですが、とても良かったです。
というか、実はアイロンかけながらダラダラ観てたため、途中の重要なシーンなんかを見逃していたので2回見ましたw
監督といい、出演者の皆さんといいとてもいい味を出してましたね。
この映画で興味深かった点は2つ。
一つは言語によって考え方が決まるという説。
もう一つは運命が決まっていたら何を大切にするのかという点でした。
1.言語によって考え方が決まる
言語によって考え方や価値観決まるということは すごく面白いなと感じました。
(「サピア=ウォーフの仮説」というみたいです。)
そーいえば、日本人が論理的な思考ができないのは日本語がそれに適していないからという説をいつだったか聞いたことを思い出しました。
確かに言語化されていないことは表現ができないですしね。
例えば色で言えば、青色の中にも何種類の色があるけれども言葉としてなければそれは認識されていないと同じだし、認識されていなければ世界もその認識の範囲で見るだろうし(そういう意味だと色の表現について考えても昔より色の表現が減っているように感じるのは認識が狭まっているってことなのかな…)。
ちょっと話は飛びますが、カタカナ語はまさにそれを指し示しているのかなと。
個人的にはカタカナ語はそのまま使うほうがいいと思っています。
何故ならそのカタカナ語の日本語訳はカタカナ語に一番近い感覚の日本語をあてはめているためだと思うので、正確な表現でないのかなと(もちろん、何でもかんでもカタカナ語だとルー大柴みたいになってしまうし、意味についても自分で認識していないといけないですが)。
その言葉を使う人(英語なら英語)にしかない定義というのは日本語を使う人達には認識できない範囲だったということですから。
2.運命が決まっていたら何を大切に生きるか
2つ目の運命が決まっていたら何を大切に生きていくのか。
劇中では、ルイーズは宇宙人の言語を理解する中で未来を認識するようになります。
その中で自分の旦那とは離婚し、娘が死んでしまうという未来を知ります。
辛い未来ですが、彼女はそれを受け入れる選択をします…。
運命は決まっているのか。
また運命が決まっていながら生きることに何を見出すのか。
んー…難しいですね。
運命が決まっている中で(特に辛い結果となる)中で、何を幸せと思って生きるのか。
考えさせられるなぁと思いました。
個人的には「受け入れる」、そして「向き合って生きる」のが大切なのかなと思います。
小さい頃は何にでもなれるし、世界は平等だと思っていました(小さい頃にそう感じれた環境にいたことに感謝ですね)。
けど、大人になれば自分の能力「足りないことを知る」を知ることになりますし(自分に限界を作るのはだめですが)、ましてや自分の意識が及ばない範囲(家族や他人)に対して「どうしようもできないこと」というのがある。
家族の問題、仕事、友人知人の関係によってそれを受け入れることが大切なのかなと30代前後になって感じるようになりました。
「諦める」のではなく、「受け入れる」こと。
それを「受け入れた」上で、「向き合って生きる」こと。
そういったことが大切なのかなと。
もちろん、これについては人によって考えは違うだろうし、自分自身子どもを持ったらもっと別の考えや考えの深さは変わるだろうなとも思いました。
まあ、自分は全くもって聖人じゃないので毎日、日々そんなようにはいかないですけどねw
でも、そんなことを改めて考えさせてもらったいい映画でしたよ〜。