前回に続いて、マルクス・ガブリエルの「欲望の時代を哲学する」の感想の続きです。
改めて、哲学が勉強不足だなーと痛感しました。
さて、今回は「新実在論」についての感想を書いていきたいと思います。
1.実存主義から新実在論へ
この本では、実存主義から順を追って、新実在論までの流れを書いてくれています。
しかしながら、自分の哲学に関する知識がなさ過ぎてちょっと流れをここで一度、整理したいと思います。
間違っていたらすみませんw
①実存主義(WW2後)
(自分の人生以外に自分の人生に意味を与えるものは何もない)
↓
②構造主義(1960年代)
(家族、場所、文化などの様々な要素からできあがった構造が、人生に意味を与える)
↓
③ポスト構造主義(1960年末)
(歴史の流れを完全に変えよう)
↓
冷戦
↓
④ネオリベラリズム(1980年代)
↓
⑤ポストモダニズム(1980~90年代)
(完全なる自由という希望を持って、全てを破壊しよう)
↓
⑥相対主義
(全ての意見は他の意見と同じくらい良いものである)
↓
⑦新実在論
さて、ここから細かくそれぞれについてみていきたいと思います。
2.実存主義
まずは、実存主義から。
実存主義とは…
第二次世界大戦の直後に様々な国々に、「実存主義」という運動が広がっていった。実存主義の最も大事な成果は次のような言葉に集約できる。「自分の人生以外に、自分の人生に意味を与えるものは何一つない」。自分の人生において、自分が唯一の意義の源だということだ。第二次世界大戦後に人々がそれについて考え始めた。なぜなら、キリスト教徒が信じるような一神教の神が、人生の意味を明らかにしてくれなかったからだともいえるかもしれない。
そこで、次の問題だ。人生はそもそも意味を持ち得るのか。実存主義者の答えは、人生に意味を持たせる唯一の方法は、自分に「投企」と呼ばれるものを与えることだ。自分の置かれている状況を省みたとき、人は全体的な構造がないということに気づく。それで意味を探す。与えられたものを超えて、自分の人生に意味があると想像するのだ。「実存は本質に先立つ」つまりこういう意味だ。まずあなたが存在する。そして、人生に意味を与える。
第二次世界大戦(第一次世界大戦も含みますかね)前までは、神様を信じていた(信じていても良い)時代といってもいいのでしょうか。
しかしながら、結局神様を信じていたのに救われなかったという人の悩みに対する答えの一つとして、実存主義がうまれたのでしょう。
このあたりは日本も同じでしょうか。
第2次大戦前までの神国的な考え方もある意味結局は神頼み的なところがあったのかと思います。
それは神様を信じることがほぼ常識的な中で、その世界観が壊れたことは凄く衝撃的だったのでしょう。
そのような中で人類の時代の悩みに哲学としての答えが実存主義だったと。
今はなれてはいないけれど、これからなろうとするものが大切だと。
ちなみに実存主義で有名なサルトルは自分の顔にコンプレックスがあり、そこから実存主義を生み出したとか。
3.構造主義
その後、サルトルの実存主義を否定する形出てくるのが構造主義です。
構造主義とは本書では以下のように述べられています。
しかし、もし、自分が自分の人生に与える構造が何らかの理由で外部の要素による結果だとしたらどうなるのだろう? この問いかけによって、ヨーロッパを中心として、一九六〇年代に、「実存主義」は「構造主義」という考え方へと取って代わられていった。 構造主義もまた、素晴らしい考え方だ。構造主義によれば、自分の「主観性」、つまり自分の自分に対する感じ方は、構造のネットワークにおける一つの結節点、交わりの点のようなものだということになる。構造の要素には、家族、育った場所、最近や過去に対する記憶、そこで経験したことについての言説、文化的な価値観……など、様々なものがある。こうした、様々な要素からできあがった構造が、人生に意味を与える。それが構造主義においての基本的な考えだ。 構造主義者は、神話学などの研究の成果から生まれている。驚くべきことに、世界中に同じような構造の物語が存在していることが明らかになったのだ。詩やコンピューターゲームなどにも当てはまる、そんな普遍的な構造が存在するのだ。それは、すなわち、人間の「投企」の外側で、それ以外のものが人生に構造を与えている、と。構造主義はそれを研究対象としていて、そうした構造が何であるかを見つけ出そうとしていた。
これも面白い考え方ですよね。
確かによく漫画なんかでも題材として取り上げられるように、世界の神話なんかには共通点が多いですよね。
逆に言うと、構造主義のこういった考え方を引っ張ってきていたんでしょう。
ちなみに構造主義の代表的な人は「レヴィ=ストロース」という方。
社会人類学者ということもあり、様々な先住民と生活をしていたらしいです。
その経験から、実存主義の前提としての歴史は西洋の歴史だけであり、近新婚の例などをあげて、社会には見えない構造が働いているんだと構造主義を打ち出した。
なかなか凄い攻防ですよね。
でも、こうして哲学について学んでいると色々な学問の考え方の根本的な部分なんだなと改めて大切さに気付かされます。
4.ポスト構造主義
正直言うと、ポスト構造主義あたりから理解が追いつかなくなってきましたw
というか特に「ポスト構造主義」が難しい。
一応、本書でのポスト構造主義の説明を抜粋していくと…
しかし、もしデリタが正しければ、事実というのは存在しない。実際、これらのある位置すら特定できないのだ。結局のところ、ここで起きていることに、あなたがアクセスできる現在=この瞬間は存在しない。構造なしで、変動と変化しかないのだ。だから、こうした状況認識は「ポスト構造主義」と呼ばれることになる。構造はすでに去ったもので、つかみようがない。つまり、フルーツボウルに果物があることをそもそも理解するのには、事実が必要だ。
・・・正直言うと全然理解ができませんでしたw
構造よりも事実が大切ということでしょうか??
ちなみにネオリベラリズムに行く前に、大きな時代背景がある。
それが「冷戦」と本書では言っており、
アメリカ:物質主義(資本主義・科学技術的な進歩)
ソ連:歴史的・弁証法的唯物論(マルクス主義・精神分析主義)
との対立構造があった(らしい。)
このあたり、ちょっと完璧には理解ができていないなあというところでした。
高校時代が日本史専攻だったのですが、やっぱり世界史も学んでおくべきだったなと改めて痛感しますよね。(日本史は学んでおいてよかったと思いますが)
やっぱり、歴史や知識の積み重ねを土台に話を展開している本を読むと勉強不足を痛感しますよね…。
5.ネオリベラリズムとは
ネオリベラリズムとは日本では「新自由主義」と呼ばれる考え方ですね。
凄く簡単に言うと、「個人や自由市場が大切!政府の介入は最低限にしよう!」的な考え方だったと思います。
日本でなじみ深いのは小泉純一郎&竹中平蔵さんのコンビが「新自由主義」的な経済政策を推進していたと思います。
代表的なのは「郵政民営化」。
まあ、それが良かったのか、悪かったのか。
どう評価されているかは自分もそこまで調べていないですが…。
ただ、貧富の差を拡大させたとも言われていますよね。
そのあとを継いでいる現政権も基本的には、新自由主義的な政策を行っていると思います(その道の専門家じゃないので詳しくは分かりませんがw)。
さて、このネオリベラリズムに対して、本書では哲学の概念から以下のように説明をしています。
もし本当に社会領域が実際にイメージの投影を中心として、組織されるのであれば、その投影のメカニズムを自分のものとし、それにつながっている人にものを売るためにそれを利用できる。コミュニティにおけるセルフイメージの構築をコントロールし、できれば階級闘争を支配し、統制できる。
また、ここから広告産業と文化産業がうまれたとも述べています。
これは、確かに 1980年から90年代のアメリカおよび日本をまさに表しているのかなと思いました。
「こういう生活がしたい」、「こんな人生を送りたい」、「こんな人になりたい」といたイメージが流され、それを消費していく。
自分が小さいころにちょうど1990年代を体験しているのですが、広告業界がとても強くCMも凄いものが多かったなと。
インターネットが身近にない時代だったというのもあり、セルフイメージを投影するのが容易かったというのもあるかもしれませんが。
6.ポストモダニズム
そのあとに出てくるのが、ポストモダニズム。
本章では以下のように解説をしている。
「a show about nothing=何でもないことについてのショー」
何でもないし、何であれそれに対して何の意味もないし、何の構造もないし、何の存在もないし、現実も真実もない。
「完全なる自由という希望を持って、全てを破壊しよう」
つまり、ニヒリズム的な考え方ということ(でいいのかな?w)
自分的な解釈では、哲学としてはずっと「こういう考え方」だったり、「こういう規範」みたいなものを提示してきたけど、そういった共通の価値観がなくなってしまったということ。
例えば、「体の弱い人に電車で席を譲ろう」と思うのが共通の価値観だったけど、「なんでそんなことをしなければいけないの?」とみんなが考えるようになってきてしまった。
そんな感じですかね。
7.相対主義
ポストモダニズムを政治にうまく活用したのが、ドナルド・トランプだとマルクス・ガブリエルは述べている(ちなみにネオリベラリズムはレーガンとサッチャー)。
相対主義とは・・・
「全ての意見は他の意見と同じくらい良いものである。」という概念を支持しするものである。
相対主義者は「これらの道徳観の善悪を決する基準などない」という。
このあたりは、なるほどなーと思いました。
というか、この考察はすごいなと。
ドナルド・トランプの政策でいえば、
例えば、アメリカ側の主張があって、日本側の主張がある。
そして、ポストモダニズムか・相対主義的な考え方で言えば、そこには真実などなく、「道徳観の善悪を決する基準などない」と言う。
そうすると力での闘争、征服へと繋がっていく。
これには、凄くすっきりしました。
自分なんかだと、相対主義的な考え方って悪いことではないと思ってたんですよ。
ある種、一つの考え方にとらわれることなく、色々な考え方を尊重する考え方として。
自分たちの子供のころぐらいから、多様性を大切にする教育というのが始まり出したころだと思います。
だからこそ、「全ての意見は他の意見と同じくらい良いものである。」というのは無条件に良い考え方だと思っていました。
ただ、その考え方の適用を誤ると、とんでもないことが起こるなと。
そして、それをうまく政治に適用させたのがドナルド・トランプだと。
これが、マルクス・ガブリエルが彼を天才だと称している理由でしょう。
8.新実在論とは
「新実在論」とはまさにマルクス・ガブリエルが唱えている新しい論です。
さて、新実在論とはどのようなものでしょうか。
子どもを拷問するな。最低な両親でなければ、親を尊べ。嫌な奴じゃなければ、隣人にはよく接しろ。多くの事実がある。明らかな道徳的事実が。では、道徳的事実とは何だろうか?これが僕の答えだ。「新実在論」による、僕らの時代における重要な問いへの全般的な答えだ。道徳的事実は、他人の立場にたって考えてみたときにわかる類のものだ。あなたが何かしたいことを想像してみてくれ。~そして理性的な人であれば、テーブルにすべての事実を議題にあげれば、あなたに異を唱えはしない。あなたが完全に状況を説明すれば、何をすべきかを知ることができる。これこそが、この知識がとても重要な理由だ。知識と科学は道徳観を形成するうえで絶対的に重要だ。
また、新実在論のうまれた背景にはテロと経済危機があると言っている。
2008年の経済危機、その原因は2001年の同時多発テロ、世界的なテロの始まりともつながっている。僕たちはこの経済体制そして自由民主主義という概念自体の両方が陥った深刻な危機の余波を受けているんだ。
さて、この新実在論について。
もちろん、理解できたような理解できないようなという感じですが、
道徳的相対主義に対して、真実と言える道徳はあるよと。
道徳的事実は存在するよ。
という考え方(であってますかね?w)。
これは、凄く当たり前のような考え方だけれども、過去の哲学のすべての考え方を議論したうえで、到達した「答え」です。
だからこそ、重みがあるし、マルクス・ガブリエルが天才と言われるところなのでしょう。
細かい議論は頭がついていきませんが、道徳的事実があること。
この考え方は個人的には大賛成です。
法律というのは最低限のモラルだと言われることが多いですが、法律がどんどんできてしまう社会というのはモラルの低下があるのでしょう(あおり運転なんかがいい例ですよね)。
かと言って、全てがニヒリズム的な世の中では楽しくはないですからね。
また、正義がない力の強いものが支配するジャイアン的な世の中は嫌ですからね。
次の未来に対してのポジティブな考え方だと思います。
9.まとめ
いやー、正直ブログに書いててまとまるのか不安でしたw
本の内容をどこまで理解できているかと言われると結構怪しいですw
それでも、何回も読み返すことで自分なりに咀嚼できたかなと思います。
(ブログに書くっておのずとそういう作業に至るからいいですよね。ただ、難しすぎて引用が多くなってしまったのは反省ですが…)
さて、世の中がコロナで大変ですが、コロナが終息した後の未来も怖いですよね。
米中間の問題や、経済の問題…もしからしたら戦争が起きるかもとも言われています。
そんな時だからこそ、政治家だけでなく一人一人が道徳的事実をもって議論してきたいですよね。
もちろん、マルクス・ガブリエルさんが述べているように「道徳観を形成するうえで、知識と科学が絶対的に重要だ」ということなので、もっと勉強しないとなと思いましたw